第3章 私の居合

第11節 我が師と易水館(4/4)

正統正伝を追う情熱


易水館の正統居合

「居合道真諦」や「大日本居合道図譜」とくらべると、師に学ぶ居合は少し異なる部分があります。
居合術は戦闘術であるにも関わらず、年をとった先生がどうしても楽にできる様に崩していく事が多いとか。重心が後ろにかかる居合など居合ではありません。
初伝は戦闘術である中伝以降を隠すための「舞い」のようなもの。でも大切なエッセンスがきっちり詰まっているから疎かにしてはなりません。(私などは「前」を一月半ずっとそれだけやりました!・・えっ、鈍臭いから?! うーん、そうかも )
「大日本居合道図譜」の百錬先生の形写真にも、傍系と思われるものが散見されます。

一、正坐の膝は肩幅に開くのではなく膝を閉じる。

急所(金的)をがら空きにするべきではないということですが、私なりに解釈することが許されるならこういうこともあるのではと。

武士が自宅で寛ぐとき、袴をはいているのは不自然でしょう。着物だけのとき、膝を開いて正座するなんて不細工でみっともないとおもいます。居合を学ばねばならない立場の武士、上士(しかも大名の側近)であれば尚のこと、だらしなく膝を開いて正座するなどあり得ないことでもあります。
日本刀剣愛好保存会のMさんに伺ったのですが、「大刀を差したまま正座する」というシチュエーションは考えれば尋常な事ではありません。このテーマは「居合の有り様」の根幹に関わる事でもありますね。
正座の時、膝をがばっと開くのを「男らしい」とか「かっこいい」とか思う人もいるでしょうが、正座の膝は閉じるのが正しい作法・礼法です。だらしなく太ったら膝を閉じられなくなったとか。電車の中で股おっぴろげて座るおっさんと一緒?(言い過ぎですね、すいません。)

一、正坐のとき、足の親指は重ねない。

重ねると咄嗟のときすぐに動けません。道理です。

一、介錯の刃筋は斜めに斬り下ろすのではなく、むしろ横に薙ぐに近い。

武士の切腹の介錯であり、罪人の斬首ではありませんから、首は前にうなだれているはずはなく、むしろ背筋・首筋を伸ばしているはずです。傍系と図譜の形は明らかに斬首の構えです。

一、受流しは正面からの敵の攻撃を受流し、斬り下しのとき重心は決して後ろ足には乗らない。

左30度とか45度とか角度が決まっているような話も聞きますが、易水館では正面からの攻撃とし、体を半歩右にかわしつつ受流します。そのあと素早く左斜め前に向き直り、前に出ている左足に重心をのせたまま壁を崩す様に斬り込むのであり、決して後ろにある足に重心が乗る事はありません。武蔵の「五輪の書」にもありますが、敵と対峙している時重心が後ろに乗ることは隙を与える事になるからです。剣の要諦は「足至り腰至り剣至る」といわれるように、飛んで斬り掛かるもありません。大きく振りかぶって「おっとり・・」と斬り下している間に払われます。

一、浮雲や颪の時、峰に当てる左手は、力が入る形でなければならず、引き倒しではない。

引き倒した後、斬り下すのは首の付け根であり、位置的に手前に引き倒すのは無理があります。
それに、指を当てるぐらいでは人は斬れません。

一、刀は長く、重く。それを早く、正確に!

全日本刀工の社長に「若浦先生の道場ほど長く重い刀を使うところはない!」と言わしめた、ポリシーです。

写真の刀は正統正伝の真髄、二尺五寸五分(二尺二寸五分となっていました。2007/4/1訂正)で重さ1.6Kg、重ね厚く、身幅4cmにもなる剛刀です。

師はこれを三日で手なずけました。

大刀は、長く重くてこそ大刀。これを軽々と振れなくては、正統正伝英信流の居合は始まりません!

詳しくは、易水館のホームページをご参照のこと。


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最終更新日 : 2007年4月1日