無双直伝英信流の今
宗家とは、そもそも先代の宗家より指名を受け紹統(しょうとう)するものであり、その時代には一人しかいないはずです。
正統正伝の無双直伝英信流においてきわめて明確な事実は、二十代正統宗家は河野稔百錬先生
であるということです。同じように、十七代宗家は大江正路子敬先生、十八代宗家は穂岐山波雄先生、十九代宗家は福井春政鉄骨先生でなければなりません。
大日本武徳会の志賀矩先生の招請と第十九代福井先生の英断により当流は土佐から再び外に出ました。残念ながら、二十一代宗家からこの辺りがよくわからないのです。正しく紹統が行われたのでしょうか?(どなたか資料をお持ちではないですか?)
無双直伝英信流の二十一代以降
Mash個人としては、河野先生が全日本居合道連盟の理事長であったとき、副理事長であったという客観的な事実から、故平井一連阿字斎先生が二十一代宗家を紹統されたのではないかと思っていますが、現実には六人の方が当流二十一代宗家を名乗っておられるようです。
二十代 二十一代
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1.河野百錬━┳━福井 虎雄 全日本居合道連盟
2. ┣━平井 一 大日本居合道連盟(全日本居合道連盟より分裂)
3. ┗━清水 俊光 日本居合道連盟 (大日本居合道連盟より分裂)
4.坂上亀雄━━━川久保 龍次 山内派英信流 (川久保先生は元大日本居合道連盟理事)
5.????・・━関口 高明 国際居合道連盟(?) 無双直伝21代
6.高田学道 無想神伝流4の山内派英信流は明確な一流派であり当流派とは別ものとみるべきです。5は、ビデオパッケージの説明書きによると十七代大江先生、十八代山内豊健先生、十九代河野兼光先生という名前が見て取れるので、4の山内派の流れであり、東京の「明武館」のながれと取れそうですが、それ以外はあまりよくわかりません。一度ビデオを見ましたが抜き付けや鞘引きなどにおおきな特徴(?)があり、驚きました。業前を観ると、「大日本居合道図譜」のような分解写真をベースにされている様に感じるというと言い過ぎでしょうか。
6はある意味とてもメジャーですが、百錬先生の「居合道真諦」の記述にある様に中山博道先生のオリジナル流派であり、ここでの対象とはなりません。どう贔屓目にみても当流派の亜流ないしは傍系であり、いずれにせよ二十代って事は無い。(十七代大江先生の直弟子である森本兎久身先生から免許皆伝を受けたとの文献もありますね。)
さらにうえの六つ以外によく似た名称の「無双神伝英信流抜刀術」というHPを見つけました。「歴史」というところを見てみると、傍系15代下村茂市先生の流れを汲み16代に細川義昌先生を置くという点に於いては、6の「無想神伝流」と同じなのですが、そのあとの流れが異なっており、ある意味「傍系の傍系」という所でしょうか。そうそう、「無双神伝流ともいう」そうです。こちらも混乱しているようですね・・!?となると、1〜3が問題となります。いずれの方も河野先生が昭和37年に著わした「居合道真諦」にある記述、当時の「第一線に活躍する」、「いま思い浮かぶ人のみ」の居合人高段者89人のリストに入っておられます。分裂の進展からすれば、1の福井先生か2の平井先生のいずれかの方が正式な紹統者である可能性が高いと思うのです。はてさて・・・
また、この書の中で河野先生は、「傍系」という言葉も明示的にお使いになっています。傍系は「正統正伝」に対をなす概念であり、傍系の系譜が当流の正統やまして「宗家」を名のることは当流に対する冒涜といえるでしょうね。
百錬先生は傍系に対して寛大でした。それは彼が当初は傍系の系列で当流を学んでいたということに由来するのかもしれません。いずれにせよ、傍系を学んだ人が自らを「傍系」と名乗るはずはなく、百錬先生の様に潔く正統正伝に学び換えるという勇気ある行動はなかなか出来ないことでしょう。
第17代大江、第18代穂岐山、第19代福井、第20代河野。すくなくともこの四代の宗家に対し他の先生の名前を充てている流派があるのなら、それは明らかに「正統正伝・無雙直伝英信流」ではありません!
参照:居合道真諦「14.正統・傍系」傍系の存在は、「正統正伝からの分裂」といえば聞こえはいいですが、実は当時の宗家から「破門」された門弟が勝手に流派を名のったものではなかったか・・という説もあります。
最近の混乱の最大の元凶は、いろいろ調べてみるとどうも昭和30年頃の「全剣連による全居連の取り込み」に端を発しているらしいことが見えてきます。
この辺りのいきさつは「術と道」の項や他の方の解説に譲りますが、「居合術は剣術の一形態であるから、居合は剣の傘下に入れ!」みたいな動きに対する反発は決して弱くはなかったでしょう。居合の段位を剣道の側が再審査する・・などというある意味とっても失礼な動きも有ったそうな・・。まあ、初伝が二本しか抜けない範士やら、中伝までしか知らない先生やらもいらっしゃったそうですから、居合の側もあんまり偉そうな事は言えないですけどね。
全剣連居合系の論陣は、「剣居一体」を強く唱えた中山博道氏を信奉し、十七代宗家大江先生が二十数人に「免許皆伝」を与えた(らしい)ことを「宗家分け」の根拠に語りたがるのが特徴のようです。
宗家である事を示す書物をわざわざ複数書き写し、戦乱の中でその中の誰かが亡くなったとしても当流が残る様にした・・という事はあったかもしれません。しかしそんなことは、大江先生の時代だけの事ではなく、ごく普通に行われて来た様にも思います。しかし「免許皆伝」が何人もいてそのだれもが宗家になれる資格があったとしても、書き写しは書き写しでしかないし、それでも時の「宗家」は常に一人なのです。ある方のHPに、福井先生の十九代紹統が、十八代穂岐山先生の急逝による「どさくさ」のなかでおこなわれ、周りは納得していなかったという説が紹介されていました。
別のHPでは、晩年の福井先生が、当流を土佐から出し、大阪出身の河野先生に宗家を紹統した事を後悔されていたとの説が紹介されていました。前者の方のHPは全体として冷静な書き振りで言葉の定義の間違いをご指摘されたり、剣道を知らないで居合のみを語る事(もしくはその反対)を批判されたり、諸説を感情的であるとか情けないとかとしてバッサリ切り捨てておられるのですが、だからこそそのようなことをある意味断定的に書かれている意図が今イチよくわかりません。確かに感情的な反応をする人もいます。それでも「語る資格」を云々するのは噴飯ものですし、ご自身が書かれている内容から推測するに、傍系英信流を学ばれているらしい事も見えてきます。
これらの方々はいずれも、たいてい全剣連居合制定に当流として関わった山本晴介先生を18代(さすがに宗家とはされていないようですが)とされたり、政岡先生のことも述べられることが多いです。
総括すれば、「福井・河野という流れは実は本筋ではないのだ!」ということを言いたいのでしょうか。ご当人たちの多くがすでに他界されている今、そういった「諸説」が事実かどうか確かめる術はほとんどありません。
しかし大日本武徳会において英信流の「指導」を行ったのが穂岐山先生ご存命の時期から第十八代穂岐山先生と第十九代福井先生であったということ、その流れから河野百錬先生が第二十代を正式に紹統されていることは正統正伝におけるまごう事なき事実なのです。
どこにでも「頑固な守旧派」はいるものですが、この論陣は頑固な守旧派を騙りつつ実は「宗家など必要ない」あるいは「意味が無い」という極論を裏に秘めています。宗家など存在しない「剣道」というスポーツの歪んだ願望が透けて見えるのは私だけでしょうか。
誰がなんと言おうとも、二十代までは正式に紹統されているのです。いろんな裏エピソードや言葉の意味・使い方などを持ち出し、極めてシンプルな事実を懸命に「間違い」と思い込ませようとする論陣には感情的なものを感じずには居れません。宗家が認めたものであれば宗家でなくても指導することはできるはず。範士・教士・錬士はそのためにいらっしゃるのであって、無理に宗家にこだわることもない。わが師は正統二十一代宗家「平井一連阿字斎先生」の直弟子であり、私はその弟子です。先生はもちろん「二十二代宗家」にはなれませんしそんなことを思ってもおられないでしょう。Mash自身は正統正伝二十一代宗家に連なると認識しています。
古流兵法としての「無雙直伝英信流居合」は、もはや実用として使われる技術ではありません。だからこそ、それが必要とされ実用とされた時代に生まれた技術や理合いを正しく護り伝えていく構えが大切なのだと思います。業の違いは理合いに対する解釈の違いによるものなのでしょう。
傍系が正統正伝の宗家を名乗る事はおかしいですが、解釈の違いから敢て「〜派」と名乗っているのは、いっそ潔いと思います。
「段位」というものも、いつから導入されたものなのか。もともとその流派の道場主(当然その流派の「免許皆伝」を允可されている人)である師によって、習得の度合いによって与えられる免状であったはず。画一的な規格物ではないでしょう。技術だけでなく人格や品位、人徳なども問われたのではないでしょうか。技術だけなら誰にも負けないという人が宗家に内緒で流派を名のり、弟子を取った・・ということもきっとあったはずです。
「〜代」という言葉は便利な言葉ですが、人を惑わす要素があるので注意して使ってほしいものです。(かくいう私だって、二十三代門弟だったりしますもんね。)