究極の居合
居合の究極の理想は、刀を抜かず、相手を斬らなくて済ませる事といわれます。
居合術の本質は、戦闘術というより暗殺剣ではないかと書いて来ました。
抜けば必殺であることは、抜かずに切り抜けることを可能にすることでもあります。
居合とは人に斬られず人斬らず 唯だ請留めて平かに勝つ(居合古歌)
座禅に対し、居合の事を『動禅」と呼ぶことがあります。
確かに、居合の練習をしていると、ただ業の事のみを思い憂き世の諸事・雑事を忘れます。(私の場合ですけど・・)
顔前に「仮想の敵を置け」と教えられます。
知人に居合をやっていると言うと、「XXさんの顔が浮かぶでしょう?」などとからかわれることもあります。
ですが、私の場合なぜかどうしても現実の誰かの顔を思い浮かべる事はできないのです。
『なーにきれいごといってんだか・・」とか言われそうですね、 私にだって嫌いな人や勘弁して欲しい人はいます。
日本刀は本来「人を斬る」ことを目的とした道具です。
もちろん刀が人を斬るのではありません。人が斬るのです。
刀には、それを持つ者に「他者の死命を制する」ことを可とする恐ろしい力が秘められています。この力を思うとき、自らの気持ちを正しく御さねばならない義務に気付きます。
考えてみて下さい。自ら日本刀をとり、一刀両断に切り捨てても構わないと思える人などいるでしょうか。三年にして、奥居合に入りました。眼前の仮想の敵は、自分が上手くなったとおもう以上にどこまでも強くなります。
こちらの隙を見ては、斬られまいと逃げ切ってくれます。なかなか、いつまでも勝つ事が出来ません。
居合の達人といわれる人は、業に入るや何もせぬ背中に近寄りがたい迫力を感じ、ひとたび刀を抜けばピリピリと凄まじい殺気が伝わってくるのに、普段はニコニコと物腰やわらかな紳士・淑女ばかりです。少なくとも私の通う道場はそんな人ばかりです。
写真でしかお会い出来ませんが、河野百練先生(正統二十代宗家)や、平井一連阿字斎先生(正統二十一代宗家)からもそんなひととなりが伝わって来る気がします。我が師もまさにそうです。ここからちょっと余談。
ある有名な居合をされる方のビデオを見ました。
「殺気ムンムン」の迫力で、稽古着に宗家って書いてあるのが布で覆い隠してありました。
あくまで個人的な意見ですが、えっ?これが無雙直伝英信流?って感じ。
しかも「正統正伝」って書いてある。(わが師曰く、『露店居合」だそうです。)
刀を右横に(!)『ズラッ」と引き抜きます。正面にいる敵は、「あっ、刀を抜いた!って気付きまくり」でしょうね。その抜き出した刀を今度は段をつけて抜き付けます。何の為の「鞘の内」やら・・・。
さらに「よっこらしょ!」と振りかぶって斬り下していました。
あげく、早抜きの様子が収録されていました。(人前で演じるな?ではないのか・・まあ、練習の様子ということでしょうか。)
居合を学ぶなら、くれぐれも「正師」をお選び下さい。
居合は理合が大事です。古流居合であればなおさら、護り伝えるべきものを大切にしてほしいとおもいます。