第1章 居合とは

第2節 立会と居合


立合と居合

「剣道」のイメージは明確で、たいていの方がピンと来ますね。
綿の稽古着に袴、さらに防具をつけ竹刀(しない)で相手の面や胴、小手などを有効に打突することで勝負がつく、そんなスポーツです。
スポーツ・・なんていうと、 硬派の方には「 武道だっ!」と怒られるかもしれません。
日本全国規模で統一されており、学校の部活なども盛ん、連盟が主催する大きな競技会もあります。
しかしそのために武道の持つ危うさは除かれ、安全に十分配慮して(?)構成されています。
わたしも学生の頃は嗜んでましたし、一応初段までは戴きました。
もっと色々深いんだ!とかいわれそうですが取り敢えずイメージという事で・・。

戦場での近接戦や宮本武蔵のような武芸者が果たし合いなどで用いた術はいわゆる「剣術」です。
剣道も元をたどれば、ここに辿り着くでしょう。
(柔道のもとが柔術であるように、武「」にはもととなる武「」があります。)
剣道や相撲の試合の事を「立合」といいます。 互いに刀を抜き構えを決め、隙あらば斬ろうとやる気満々で向かい合っている状態です。

お互いに技や力を競い合い、勝敗を決する事が出来るからこそ、これらは様式化できスポーツ化することができたのでしょう。


居合」はこの「立合」と対になる概念です。
刀は鞘に納めたまま、相手への敵意・害意や殺気を表に現すことはありません。
しかしひとたび相手の「自分への害意」を察知するや、先手もしくは後の先を以て勝ちを制する術を居合術といいます。(表向きは・・ですが。)
したがって、刀を鞘から抜き放つ最初の一撃である「抜付け」こそが居合の本質であり、この攻撃は「電光石火」、「一撃必殺」を旨とします。
そして厳密に言うならば、第二刀以降はすべて剣術なのです。

敵ではない筈のものが突然に害意を示したり、挨拶をしながら切り伏せる業などを一対一で勝負を決するスポーツのように様式化する事は難しいでしょう。

居合術は「射撃」に似ているとおもいます。同じ側に立ち、同じ業の完成度を競う事しか出来ません。

試斬にしても、本来は刀の切れ味を競うのではなく、業の完成度を確認するため一刀一刀の刃筋が通り、目標となる(敵の部位に見立てた)物が確実に斬れる事を確認できるようなものであればいいのかも知れません。

もしそういう「試斬用品」ができれば、居合の競技会が出来るかも知れませんね!(これはひょっとすると儲かるかも・・すいません、ちょっと商売っけ入りました。)


居合が単なる「早抜き」と誤解されるのは、「電光石火」の部分がいたずらに誇張されたからかも知れません。

あるいは、幕末ものや剣豪ものの小説で「居合は速い」とよく書かれているからかも。

厳密には速く抜けば良いというだけではなく、抜く手を見せず・・つまり刀を抜きだすことを相手に気取られないことが大切なのです。
(十七代宗家大江先生が考案した「はや抜き」は、自分の修練のためのもの。人前でやるものでも見せるものでもないのです。)
参照:居合道真諦嘆異録「12.早抜きの事」

巻藁や竹をスパスパ斬るものとされるのは、「ひとたび鞘を離れれば敵二つとなる(白刃一閃身首異処)」決然とした業前からそう思われたのかもしれません。


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最終更新日 : 2007年6月2日